ジュエリーの歴史 日本
日本のジュエリー
ジュエリーはファッションを完成させる重要なアイテム。今やジュエリー大国となった日本ですが、明治維新で西洋文化が普及するまで、装身具はほとんど使われてきませんでした。意外と知らない、日本と世界のジュエリーの歴史をひもといてみましょう。
- ジュエリーの起源
- 世界各地の遺跡から必ずといっていいほど出土するジュエリー。人類にとって、装身具は昔から身近な道具のひとつでした。災いから身を護るためのお守り、狩猟の力を誇示するための証が、ジュエリーの起源と考えられています。
- 時代が進み人間に社会性が出ると、身分や地位を表すためや、同じ部族のしるしとして、ジュエリーのようなものを身に付ける習慣ができてきます。
- 先史時代のお守り
- 原始の社会では、熊・狼などの強い動物の骨や牙を身に着けて、たくさん獲物を取れる力や勇敢さをあらわしました。また、その動物の強い力が自分のものとなるように、お守りとして使いました。美しく輝く宝石にも何か特別な力があると考え、護符として身に付ける文化が生まれます。
- このような習慣は特別な地域のものではなく、世界各地の文明で見られる人類共通の文化のようです。もちろん、日本でも…。
日本のジュエリー
日本では旧石器時代から、装身具が登場します。
- おしゃれな縄文人
- 縄文時代になると首飾り、腕輪、耳飾り、指輪、かんざしなどを身に着けるようになりました。
- 既に、ほぼ現代と同じ用途のジュエリーが存在しているのです。
- ヒスイや真珠、琥珀などの丸玉や勾玉などが、各地の遺跡からみつかっています。
- 耳飾りは女性が、首飾りは男性が着けたと言われています。
- 日本から消えてしまったジュエリー
- 弥生時代に盛んだった玉造り。古墳時代には大陸から金属工芸技術が伝わり、金銀装身具が古墳に埋葬されました。
- ところがその後、古墳時代後期から明治時代まで、ジュエリーは日本社会から姿を消してしまいました。
- かろうじて、かんざしや櫛などの髪飾りは使われ続けますが、世界にも珍しい、装身具の少ない文化なのです。
- ヒスイやサンゴ、金銀も産出される環境にありながら、いったい何故?着物があでやかで装身具が必要なかったという説もありますが、実際はどうだったのでしょうか?
- 貴金属工芸は、刀や茶道具に
- 日本に装身具はありませんでしたが、ジュエリーを作る技術はあります。
- 彫金・鍛金・鋳金・宝石研磨というジュエリーに必要な技法は、刀や茶道具、煙草入れなどの精緻な工芸として発達しました。
- 明治維新後、西洋文化が入ってきてすぐに、素晴らしいジュエリーを作ることができたのは、技術の伝統があったからこそです。
- 今でも、ジュエリー作りの職人のことを錺(かざり)職人と呼んだりします。
- 糸魚川のヒスイ
- 新潟県糸魚川市を流れる小滝川に、日本有数のヒスイ産地があります。
- 縄文時代から古墳時代まで、糸魚川で取れたヒスイ原石と加工した勾玉は、日本全国に広まりました。
- しかし奈良時代を過ぎると、ヒスイ文化で栄えた糸魚川は忘れ去られます。
- 再びヒスイ産地として脚光を浴びたのは、1500年近くも後の昭和の時代。
- 遺跡からヒスイ加工の跡が発見されて、日本における勾玉の一大生産地であることが分かりました。
- 世界に先駆けた真珠養殖
- 日本が輸出する唯一の宝石、真珠。
- 明治時代に御木本幸吉が真珠の養殖に成功し、日本は世界に名だたる真珠産地となりました。
- 天然真珠は縄文時代から利用されています。海から取ってきた貝の中に真珠を発見した人は、その美しさに心を奪われたことでしょう。
- 安定的に高品質の養殖真珠が出回るようになった戦後は、海外から来た観光客や軍人のお土産に人気だったそうです。現代では安価な中国産の淡水真珠も出回っていますが、形状・輝き・品質において、日本の養殖真珠は素晴らしいものです。
世界のジュエリー
西洋だけでなく、インドや中近東、アジア、南米、アフリカでも古くからジュエリーは盛んに作られ、身分の高い人たちを飾ってきました。
デザインもバラエティに富んで、とても魅力的です。