歴史に残る有名なダイヤモンド

有名なダイヤモンド

グレート・ムガール Greate Mughal
1725年まで唯一のダイヤモンド産地であった、インドムガール帝国のゴルコンダ(Golconda)。その鉱山で280キャラットもの最大のダイヤモンドが発見され「グレート・ムガール」と名付けられた。
ムガール帝国は英国の植民地化によって1858年に消滅し、グレート・ムガールも失われた。グレート・ムガールは磨きなおされて、ビクトリア女王のコイ・ヌール(Koh-i-noor)という106キャラットのダイヤモンド。或いはロシアの195キャラットのオルロフ(Orlov)になったのではないかといわれるが、真偽は不明。
コーイ・ヌール
マハラジャが所有していた。初めは186キャラットあったが、再研磨後は108.9キャラットになった。エリザベス皇太后の王冠にセットされている。
ホープ・ダイヤモンド
貿易商人タヴェルニエがフランス国王ルイ14世に献上したのが、112キャラットの「タヴェルニエ・ブルー」。青く輝くダイヤモンド。これがのちにカットされて「フレンチ・ブルー」と「ホープ・ダイヤモンド」になったとされている。
ヒンズー教のラーマ・シータ女神(Rama Shita)
タヴェルニエが手に入れた青いダイヤモンドは、インドのヒンズー教の女神らーま・シータ像からはぎ取ったものだと言われている。
その祟りなのか、ルイ16世と王妃マリーアントワネットは断頭台で処刑された。のちにホープ・ダイヤモンドを手に入れた銀行家のホープ一族は、次々に不幸に襲われたという。タヴェルニエは破産したのちにロシアで野犬に襲われ死亡。現在は、スミソニアン自然史博物館に展示されている。ルイ14世は3週間苦しんで死亡。ルイ14世からダイヤモンドを舞踏会の為に借りた大蔵大臣は翌日処刑された。リカットに携わったオランダの研磨士も不幸に見舞われた。最後に手に入れたカルティエが流した噂という説もある。
カリナン
1905年にキンバリー(Kimberley)で発見され、後にスター・オブ・アフリカ(アフリカの星)と呼ばれる、3024キャラットの大きなダイヤモンド。75万ドルで買われてロンドンへ送られた。アムステルダムで分割・研磨され、英国王室の王冠などにセットされた。
カリナンの分割
カリナンの分割、カット、研磨はダイヤモンド加工の老舗アッシャーによって行われた。ジョセフは2か月かけて割り方を研究し、兄弟たちを立会人とし、看護婦を付けて、専用の刃物で狙いの位置に合わせ、ハンマーの一撃で三つに割った。英国王室に収める世界一のダイヤモンドで失敗は許されない。ジョセフはダイヤモンドが割れた時、失神しました。
カリナンⅠ
最大のカリナンⅠは530.2キャラット。英国王室の王笏にセットされている。
カリナンⅡ
317.4キャラット 。英国戴冠式用の王冠にセットされている。カリナンⅠ~Ⅸは、イギリスのロンドン塔に展示されている。
エクセルシオール
1893年に南アフリカで発見された995.2キャラットのエクセルシオール(Excelsior)カリナンが発見されるまでは、最大のダイヤモンドだった。カリナン同様にアムステルダムのアッシャー工房にて21個に分割。
ティファニー・ダイヤモンド
黄色いダイヤモンドで有名なのが、ニューヨークの宝石店、ティファニーの所有する128.5キャラットのティファニー・ダイヤモンド。90面のカットが施された。原石の状態では287.4キャラット。産地はキンバリー鉱山。
フロレンタイン
インド産の137.3キャラットのダイヤモンド。1477年にフランスのブルゴーニュ公がナンシーで戦死した時、兵士が黄色のガラス玉と思って奪い取り、安値で転々と売られた。フィレンツェの富豪メディチ家において、貿易商人タヴェルニエが真価を認めた。
ドレスデン・グリーン
58面体のペアシェイプカット。1741年にアウグスト王の息子が物産展でダイヤモンド商人から購入。
南の星
1853年に発見された261.9キャラットのダイヤモンド。
ウィリアムソン
1947年にエリザベス女王の結婚式に贈られ、エリザベス・ピンクと呼ばれた。
カシクチ
オスマントルコ帝国の残した財宝。重量が86キャラットあるローズ・カットのダイヤモンド。サルタンのもとから盗まれて、転々と持ち主が変わった。最後にはスプーン3本と交換された。スプーンメイカーとも呼ばれる。

日本のダイヤモンド

1867年の明治維新以前の日本の文学作品中にダイヤモンドは登場しないとされ、聡明な昭憲皇太后(1850~1914)の御歌に詠まれたダイヤモンド、「金剛石も磨かずば玉の光は添えざらん 人も学びて後にこそ真の徳は現るれ」が一番初めとされています。

金色夜叉
尾崎紅葉(1867~1903)の寛一お宮。 富豪のダイヤモンドに見せられたお宮が、寛一を裏切って富豪に靡いてしまう。熱海の海岸での別れが見せ場。後に寛一は金融業で成功をおさめ、金力に対する復讐を遂げる。ダイヤモンドの大衆化の始まりの作品。
十力の金剛石
宮沢健二(1896~1933)の1920年ころの作品。 十力とは全智者の仏の具有する道理・不道理の判断、因と果の判定、等々十種の知恵の力。その力を宝石の中のダイヤモンドに託した。ある国の王子が所有する大きな黄色のダイヤモンドよりもっと大きな価値の高いダイヤモンドを求めて出かける。物語には数多くの宝石が出てくるが、十力のダイヤモンドのみが待ち望むものというお話です。
銀河鉄道の夜
宮沢健二の銀河鉄道の夜にもダイヤモンドは登場する。しかも、ダイヤモンド会社がわざと採れなふりをして隠していた金剛石を誰かがひっくり返してばら撒いた。宮沢健二は当時としてはかなり宝石について詳しく知っていたと伝わります。

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