ダイヤモンドにまつわる有名人
ダイヤモンド産業生みの親やカットスタイルの考案者たち
高価で希少な宝石ダイヤモンドの所有者やデ・ビアスというダイヤモンドシンジケートを作市場へ供給した人物、より良いダイヤモンドの輝き(ライトリターン)を求めて理想のプロポーションを求めた人物等ダイヤモンドにまつわる有名人です。
- オッペンハイマー
- 当時のダイヤモンド・ラッシュによる会社の乱立、競争、無秩序な生産と販売合戦がダイヤモンド産業を壊滅させ、世界的な紛争や衰退を招くと考えて独占を図ったといわれている。
- セシル・ローズ Cecil J.Rhodes
- 英国の田舎生まれのひ弱な青年、セシル・ローズ(1853~1902)は、キンバリーに行き、優れた商業戦略と巧妙な取引によってダイヤモンド産業を手に入れた。1888年にデ・ビアス(De Beers)という鉱山会社を創立。生産、加工、販売、価格と販売量の調整を行う独占企業とし、巨大なダイヤモンド・シンジケートを作り上げた。その後、世界各地でダイヤモンドが発掘され、すべての吸収は不可能になり、取引や経営の連合、協定を結び、カルテルによる統制へと移行し、国際ダイヤモンド・カルテルができた。中心は、デ・ビアス。
- このような産業を独占支配し、事業を安定化するカルテルは資本主義の在り方の典型で、人や国家社会をも支配しかねないとする批判もある。
- マザラン枢機卿
- ルイ14世の統治するフランスで宰相を務めた人物。4歳で即位したルイ14世に変わってほぼ20年間フランスを切り盛りしました。政治家としても私財を蓄えることも有能だったマザラン宰相。1661年の亡くなる際に、自身のダイヤモンドコレクションをルイ14世に遺贈しました。最大の53キャラットから6キャラットまで、合計で18個ものダイヤモンド。条件は名前にマザランを付けること。一番大きなマザラン1はルーブル美術館に展示されています。
- ルイ14世(1638-1715)
- 洋服のボタンにダイヤモンドを使用していたことで有名なダイヤモンド好きの王様。貿易商人タヴェルニエが
- マリーアントワネット
- ダイヤモンドと縁の深い最初の女性といえば、マリーアントワネット。
- マックリーン夫人
- 不幸をもたらすと伝説がついたホープ・ダイヤモンドを、私には関係ないと考え、カルティエから購入した女性。しかし、主人はアルコール中毒で発狂、息子は自動車事故で、娘は薬の飲みすぎで世を去る。一人になった夫人は、ペットの犬の首輪にこのダイヤモンドを使用した。
- トルコウスキー
- 1919年に20代の数学者、トルコウスキー(Tolkowsky)が光学的な計算に基づき理想のプロポーションを決めた。この理想的に光るカットを、アイデアル・カットと呼びます。
ダイヤモンド売買の仕組み
以前は、デ・ビアスが産出するダイヤモンドをほぼ買い占めていた。これは、価格が下落しないように流通量を調整する目的もある。デ・ビアスは、現在DTCと名前を変えている。ダイヤモンドの買い占めは中止したが、現在でも4割ほど買い占めている。